君にしか聞こえない
咥えた煙草の先端から、細い白煙が立ち上り空気と同化する。
同時に独特の香りが、鼻腔を擽った。
現国の授業が、無いのを言い事に。
今は静寂を守る、屋上へと身を寄せて。
更には念を入れ、鉄製の梯子を上り。
高々と設置された、貯水タンクの影に隠れる。
遥か下――――グランドからは。
授業を受ける生徒達の、歓声と嬌声。
暑くもなく、寒くもなく―――丁度良い気候。
穏やかな向かい風が遮り、オレの天パを揺らした。
こうやって一人優雅に、煙草の時間を過ごせるのも。
「教師の醍醐味って、ヤツかあ?」
紫煙を吐き出し、思わず独り言。
そう言えば、こんな風に――――ゆっくりした時間、久しぶりな気もする。
ペンキ塗りたくった様な、蒼空に吸い込まれる白煙。
その空を横切る、何羽かの鳥達と。
風に吹かれて靡く、緑葉の木々。
のんびりとした空間に、一人佇んでる様で。
――――時間が、止まってるみてえ。
「・・・・・・・・」
こうして何をする訳でもなく、ぼーっとしてると。
脳裏に必ずと言って良いほど、浮かんで来る人物がいた。
まるで計算の答えが、弾き出されたみたいに。
どんどん、アイツに対する『KEY WORD』が出現。
『二つに分けたお団子頭』
『今時珍しい瓶底眼鏡』
『授業中の早弁』
『頓珍漢な台詞』
『沖田との小競り合い』
『脳味噌は空に近い』
『それなりの運動神経』
『意外に友達思い』
・・・・・・などなど――――。
「―――――つうかさ?よりによって、何だって、アイツな訳?おかしくねえ?」
だってさ、他にもいろんな奴がいるだろ?
まあ一日の半分以上は、この校内にいるけど。
「それにしたって・・・・・」
再び脳裏に浮かび上がった、ビジョンに。
思わず盛大に、溜息を吐く。
「これって・・・・異常じゃねえ?」
今までクラスを、受け持った事はあったけど。
「ある一人の生徒」の存在が、此処まで肥大するとは。
―――――これじゃあ、まるで。
「『片恋』して懸想しまくってる、初心な少年だよ」
―――――へ?
自分で口に出しておいて、その内容に疑問符が追加される。
・・・・・『片恋』?
オレが?あの奇天烈な少女に?
「・・・・待て待て待て待て?落ち着け、銀八」
いくら何でも、そりゃあねえだろ?
確かによ?此処最近ずっと、甘い時間を共有出来る『恋人』もいないし?
こんな寂しい生活に、涙を飲む事だってある。
もうそろそろ、『春』を謳歌したいって思うけど。
但しそれは、あくまでも『女性』であって。
オレとアイツは『教師』と『教え子』。
世間で言う――――『禁断』の関係だし。
「―――――何が、禁断なんですか?」
「!?」
突然の背後からの声に、一瞬だけ身体が硬直する。
首を90度動かして、レンズ越しから人物を確認。
逆光の為か影になっていて、あまり見えないが。
トレードマークのお団子頭で、即把握出来た。
梯子を完全に上りきっていない、上半身姿だけの「教え子」。
「・・・・てか。授業中に、何してんすか?てめえは」
内心驚きを隠しながらも、努めて教師らしく冷静に対応。
「3−Zは、教科担任が休みの為。自習になったんですヨ」
――――あれ?そうだったっけ?
そう言えば・・・・今朝方、職員室でそんな事を言われた様な。
「―――だからって。何で屋上?大人しく、クラスで自習してろっての」
「そういう先生だって、屋上の――――更にこんな貯水タンクに隠れて、煙草?」
「室内で吸うのと外で吸うんじゃ、気分的に違うですぅ」
「ふうん」とオレの言葉を、聞き流しながら。
梯子の手摺に手を掛け、微かな金属音をさせて全身を現す。
立ち上がった瞬間、風が神楽を遮った。
顔に掛かる髪を、右手で押さえながら笑った。
「おお♪なかなかの、好天気ですな」
「折角・・・・一人の時間を、満喫してたってのによお」
「良いじゃないですか、可愛い生徒と時間が共有出来。」
にっこり笑顔を向けたと思ったら、近づいて腰を下ろそうとする。
「―――――――――」
可愛いって、普通自分で言イマスカ?
申し訳なさ程度に開かれた距離が、何となく気まずい。
見つかりにくいとは思いつつも。
無意識に周囲を、気にする自分がいる。
唯でさえ、こんなシチュエーションで。
教師と生徒が、二人きり。
おまけにさっきまで、自分の脳味噌を占領していた張本人が隣にいて。
言葉を掛けるのも躊躇い、煙草に逃げようとした時。
「――――私がどうして、屋上の・・・・しかも貯水タンクに来たか知ってます?」
「は?」
・・・・・そんなモン、知る訳がねえ。
「何となく、先生が此処にいそうな気がしたんですヨ」
「―――――どして」
「前から先生がこの曜日の時間帯は、授業無いって知ってましたもん。
それに―――――」
瓶底眼鏡の少女が悪戯気な表情を浮かべ、こちらを振り向く。
その振動で、眼鏡がずり落ち――――2つの碧眼が現れた。
「?」
「先生の『声』が、聞こえたんです」
「―――――声?」
おそらく怪訝な表情をしているオレに、少女は微笑んで頷く。
「何度も、何度も。私の事、呼んでたでショ?」
奇想天外な台詞に、絶句状態だったが。
やっとこさ、声を搾り出す。
「――――ばっ・・・おまっ、何言ってんの?頭平気?どっか打った?」
そう言うと隣に座った少女は、右手を上げて人差し指を立てると。
そのまま、オレの心臓に向けて。
「『心の声』で――――先生は、私を呼んでるんだヨ?」
どっから出てくるんだ?その根拠と、自信は。
けれど思いとは裏腹に――――指された心臓の鼓動が、一瞬だけ高鳴って。
「その声は、私にしか聞こえないんです」
確信に満ちた、表情で言われてしまった。
・・・・て事は、何デスカ。
オレは無意識に、お前の名前を呼んでるって事デスカ。
「・・・・・ば〜か」
両目を瞑り、苦笑いにも似た笑みを浮かべる。
――――確かに。
確かにそうかも、知れない。
お前の事が頭に浮かんだ時――――名を呼んでいたのかも知れない。
その理由を認めたく無いような・・・・認めても良い様な。
教師と生徒って言う、複雑な立場でもあるんだが。
まあそんなモンは、置いといて。
とりあえず――――――は。
「神楽」
「はい?」
「――――なら、この『声』を聞いてみ?」
『 』