笑顔の行方
居候娘と巨大な飼い犬が、眠りの世界に着いた頃。
オレは一日の汚れを落とす為、風呂に浸かっていた。
「・・・・ふう」
――――ああ。やっぱり、風呂ってのは良いモンだ。
別に依頼があって、身体中が汗だくになり・・・・汚れた訳でも無いのだが。
やはり床に就く前には、湯船に全身を委ねてから眠りに着きたい。
両瞼を閉じ、思う存分に風呂を堪能し終えて。
不快では無い、身体の気だるさを感じながら。
風呂場の戸を開けて、脱衣場へと足を踏み入れる。
バスタオルで全身の水気を取り、籠に収めていた――――甚平に袖を通す。
「―――――さてと。ちょいと、一杯すっかな」
少し乾いた喉を、酒で潤し――――それから、布団に入るとしよう。
騒がしい娘も、己の頭を噛む犬も・・・・邪魔はして来ないだろうし。
湿気たバスタオルを洗濯機に放り込み、タオルを取り出して頭に乗せ。
水分を若干含み、大人しくなった自由奔放な髪を荒々しく拭きながら。
脱衣場を後にし、鼻唄しながら廊下を進む。
居間に辿り着けば、豆電に灯された室内が。
オレを、出迎えた。
押入れで寝ている娘と、テレビの傍で眠る犬を起こさぬ様に。
忍び足を意識しながら、台所へと両足を進める。
―――――此処って。一応、オレの家なんだよな。
何だって、家主が・・・・こんな気遣いをしなければ、ならないんだ?
無意識に眉間に皺が寄るも、台所に入り。
戸棚に隠していた、『目当て』の物が視界に入った瞬間。
そんな考えは、吹き飛んでいた。
「これこれ♪」
イチゴ・リキュール。
たまたまパチンコで勝ち、余り玉を景品に換える時に。
瞬時に目に入った、酒瓶。
大抵不夜城に繰り出し飲む時は、ビールや熱燗・焼酎・サワーが主だが。
甘いカクテルだって、嫌いではない。
このイチゴ・リキュールを、牛乳で割れば。
アルコールを含んだ、イチゴ・オレの出来上がりである。
風呂上りには、これくらいが丁度良い。
未開封の瓶の蓋を開け、適当に手に取ったグラスに原液を注ぎい入れ。
後は冷蔵庫から牛乳を取り出し、原液に入れればOK。
見た目は『イチゴ・オレ』と変わらない、カクテルが完成した。
さてさて、まずは一杯目。
―――――と、グラスを手に取って。口へと、運ぼうとした時だった。
「銀・・・・ちゃん?」
突然背後から、自身の名を呼ばれたのは。
「うおおお!?」
驚いて・・・・・つい、奇声を発してしまう。
肩越しに振り向けば、其処には眠そうに瞼を擦る神楽の姿が。
「――――おっ、お前。どうしたんだよ?こんな夜更けに」
「ん〜・・・・何か。喉が、渇いたから。水でも飲もうと思って――――あ!」
「?」
急に大声を上げ、目を輝かせると。
口元に運ばれずにいた、カクテルを指差した。
「イチゴ牛乳!」
「ばっ・・・・ちがっ・・・・これは――――」
オレの返答も聞かずに、居候娘はカクテルの入ったグラスを奪い取り。
自身の口に運んで、一気に煽ってしまった。
「ああああああ!お前!」
叫んでも、既に遅し。
「――――んん?あっ・・・・・れ?」
アルコールに全く面識の無い少女は、白い頬を急激に赤くさせ。
「なんか・・・・・良い気分に・・・・なって来たアル」
――――――そう言って、唇の両端を上げた。
「・・・・・・?あれれ?足元が、ふらつくネ」
つうか、アルコール回るの早過ぎっ!
そんなに、原液を入れ過ぎたのだろうか?
「銀ちゃあ〜ん。もっと、『コレ』。頂戴?美味しいアル」
眠そうにしていた瞳は、力を無くし――――目尻を下げて、とろんとしている。
未成年のガキが、何口走りやがってんだ!
カクテル一杯で、酔っ払いの出来上がりかよ。
「ダメに決まってんだろうが!これは、お子様が飲むモンじゃないの!」
どうやってこの場を収め、尚且つ少女を酔いから醒まさせようか?
水をたらふく飲ませて、身体に入ったアルコールを少しでも薄めるか。
それとも頭から、思いっきり水を浴びせてやろうか。
――――途方も無い案を、脳裏に巡らせていた時。
「ええ〜?別に良いじゃん・・・・・ネ?」
未成年のガキは、首を僅かに傾けると。
碧眼を潤ませ、カクテルで濡れた唇を夕月にさせた。
「――――――」
その笑顔を、目の当たりにした瞬間。
息は詰まり、鼓動が一度だけ高鳴る。
・・・・・なんつうか。エライ、色っぽいんデスケド。
もし未成年で無かったら、コイツの要望にすぐさま応えていた自分がいた筈。
「・・・・・・・」
口内に溜まった唾液が喉元を通り、大きく音を奏でた。
不夜城の店にて見てきた、客達に振舞う――――プロの女達の笑みよりも。
数段、妖艶で魅力的で・・・・魅惑的である。
――――実年齢を、忘れさせてくれる程に。
「銀ちゃん?」
「――――!」
居候娘の声で、我に返る。
・・・・・見惚れてた?このオレが?神楽に?
色気の『い』の字も無い、クソガキに?
脳裏に浮かんだ考えを振り払うかの様に、これでもかと首を左右に動かして。
「―――――だ、駄目ったら駄目!お前は水でも飲んで、とっとと寝ろ!」
艶めいた笑顔は、この言葉で消え失せ。
今度は赤く色づいた頬を膨らませ、濡れた唇を尖らせる。
「ケ〜チ。別に、良いじゃねえカ。減るモンじゃなし」
・・・・・いかん。これもまた、可愛らしい。
いやいやいやいや!待て待て!坂田銀時!目の前にいるのは、
脳内に変な虫でも、湧いてしまったのだろうか?
普段から知り慣れてる少女に、こんな感情を浮かべてしまうなんて。
有り得ん・・・・・しっかりしろ!オレ!
「減るもクソも、あるかああ!そんなに飲みたきゃ、オロCでも飲んどけ!」
「オロCィ?そんなお子様の飲み物、かぶき町の女王神楽様には不似合いヨ」
ふんっと鼻で笑う少女に対し、オレは右手を額に当てた。
この後怒りを交えた説得を施したが、居候は酔いの感覚に溺れて聞き入れやしない。
・・・・このままでは、収支が着かねえ。
此処は一旦、自分が折れておくべきか。
盛大に溜息を吐き、頑として言う事を聞かない少女に。
「・・・・わ〜った。但し、後一杯だけだからな」
「本当!?銀ちゃん!」
「ああ。だから、居間に行って。長椅子にでも、座ってろ。作って持っててやっから」
「うん!有難うアル!」
いつも通りの微笑を向けて、踵を返し。
台所を後にしようとする、小さな背中に向かって。
「その代わり!飲んだら、とっとと寝ろよ?」
ちゃんと釘を刺し、冷蔵庫の扉を開けた。
「は〜い♪」
・・・・・やれやれ。しょうのねえ奴だな。
ドアポケットから、『イチゴ・オレ』のパックを取り出すと。
新たなグラスを手にして、液体を注ぎ入れた。
アルコールが含まれていない、純粋な苺牛乳である。
流石に馬鹿正直に、2杯目をくれてやるつもりは毛頭無い。
いい加減な男と思われがちだが、締める所は締めてるつもりだ。
未成年の飲酒は、絶対にNGである。
―――――既に、酔ってる状態だ。恐らく味覚は、鈍ってる筈。
もし味が違うと言われても、原液を薄めたとでも言っておけばいい。
先程飲み損ねてしまった、自分の分の『イチゴ・オレ・リキュール』を作り。
両手に同じ色の液体を宿した、グラスを手にして。
オレは酔っ払い少女の待つ、居間へと向かう事にした。
・・・・・ったく。あんな、笑い顔。反則だろうが。
お陰様で、脳裏に焼きついて――――中々消えてくれようとしない。
いずれ歳を重ねれば、『女』としての変貌を遂げて。
アルコールの力を借りずとも、更に妖艶を増した笑みを浮かべる事が出来るんだろうな。
・・・・・一体、誰に向けるんだろうか。やっぱり、恋人とか?
神楽の笑みを、独り占め出来る――――男・・・・・ね。
―――――なんつうか。
羨ましい様な、憎らしい様な・・・・胸糞悪い様な。
「―――――――」
・・・・・考えたって、しょうがない。
年齢不釣合いだった、笑顔の行方は。
この先の本人しか、知らないのだから。
「神楽〜。出来たぞ〜」
同じ色をした液体に浮かべられた、無色透明の塊達が。
グラスに2・3回ぶつかり、済んだ音色を奏でていた。
行方の矢印が、自分に向けられていたと知るのは。
―――――当分、先の事だった。