悲しいKISS
「――――おやすみなさい。金時」
ソファの背凭れに身体を預け、微かな寝息を立てる眼前の男に私は囁いた。
僅かに軋ませながら、腰を上げて。
普段なら到底行動にしない事を、今此処でしてみる。
ゆっくりと歩を進めて、男の隣に腰掛けた。
こんなに近くで、寝顔を拝むのは初めてかも知れない。
端正な顔立ち――――流石はNO.1ホストとも言うべきか。
女性にも負けない長い睫が、頬に影を落としている。
筋の通った高い鼻・そして均整の取れた唇。
この男目当てに、一体何百人・・・・・何千人の女性達が店に足を運んだのだろう。
中には想いを、秘めてる人達だっているだろうに。
その事に気付いてるくせして―――――決して、本気になる事は無い。
「・・・・・罪深い男よ。貴方は」
私が漏らした言葉に、眼前の男は腹式呼吸を繰り返すだけ。
余程、薬が効いてるのだろう。
今先程金髪の男によって、空になったロックグラスには。
琥珀色の液体と一緒に、睡眠薬が潜んでいた。
だって・・・・・こうでもしなければ―――――。
「意地でも私を、止めようとしたでしょう?」
ホストの仕事を放って、このマンションに来たのは。
きっと――――その為だった。
これから私が、足を運ぶ場所は。
敵対している、とあるマフィアのアジト。
そのマフィアの首領と、カタを付ける為に。
長く続いていた無駄な争いを、一掃する為に。
―――――そして。
生死を賭けた、ゲームをする為に。
自ら出向いて、幕を閉じるの。
「全く」
太股の内側のホルダーに収まっている、『獲物』を軽く一撫で。
「・・・・貴方にだけは、知られたくなかったのに」
一体何処から、嗅ぎつけたのか。
ひょっとしたら、ホストよりも『警察』の二文字の方が合ってるのかも。
――――――なんて、笑みを浮かべていたら。
背後から、ドアを軽くノックする音が聞こえ。
続き様、「ボス」と呼ばれる。
・・・・・・そろそろ、時間・・・・か。
「今、行くわ」
それだけ伝えて、腰を上げかけたが。
面していた時には、決して言えない言葉を。
耳元で、囁いて。
うっすらと開かれた容の良い唇に、そっと・・・・己の唇を重ねた。
―――――私が貴方に贈る、最初で最期のキス。
静かに閉まったドアの音が、両耳に届けられる。
瞑っていた両目を、ゆっくりと開き始めた。
唇には愛しい女が、落として行った――――愛しい感触。
『愛してたわ』と。
一言だけ、伝えられた言葉に。
思わず身体を起こし、抱きしめたい衝動に駆られた。
・・・・なのに、身体は動いちゃくれなかった。
これが、最期になるかも知れないってのに。
お前はこんな所で、何してんだ?金時。
――――行かせたくなかったんだろ?無理にでも引き止める為に此処に来たんだろ?
心底愛してる女が、死ぬかも知れないんだぜ?
「――――出来るかよ。引き止めるなんざ」
あんな、表情をされて。
マフィアの頂点に立つ、『裏』の顔をされて。
・・・・・・秀麗だった。今まで見た事の無い程に。
背筋が粟立ったのは、きっと気のせいじゃない。
「・・・・・・・・」
だれていた右腕を動かし、指先を唇に向けた。
あの時の熱は、既に失い始めている。
アイツからの、初めてのキスだったのに。
「――――いらねえよ。こんなキス」
こんなに、悲しくなるのは何故なんだろうか。