梅雨入り予報を、結野アナの口から聞いたのは――――今朝の事。

テレビのブラウン管から、視線を外して。

長椅子に預けていた身体を、起き上がらせる。

真向かいに、座っている銀髪の男は。

例の如く、愛読書を熱読していた。

私は外界の景色を拝もうと、家主の部屋へと足を踏み入れ。

閉じられていた障子を、両手で開けると。

透明な硝子窓が、私を出迎えた。

―――――まるで、叩きつけるかの様な。

水滴達の、音と共に。

空から降り注ぐ、透明の雫達は――――。

まるで攻撃をする様な勢いで、窓ガラスにぶつかり。

小さな川となって、重力に従い流れ落ちていく。

「・・・・どしゃぶりアルナ」

―――――これでは、外出など出来そうも無い。

以前・・・・此処の家主に、傘を買って貰い。

あまりの嬉しさに、どしゃぶり雨の中――――出掛けた記憶もあるが。

「台風が、近づいてるからだってよ」

突然真後ろから、聞き慣れた低音が鼓膜に届けられる。

私は僅かに、顔を上に逸らして。

真上にある銀髪男の顔を、見やった。

「すんげえ・・・・雨だ。窓の向こうなんざ、何も見えねえじゃん」

彼の言う通り――――眼前の景色さえ、大雨に掻き消されている。

・・・・・しかも。

自然が奏でる、微かにノイズの混じった重低音が。

すぐ傍で、聞こえ――――更に細い閃光が、走った。


「―――――雷・・・・カ?」


「そうみてえだなあ。落雷、しなきゃ良いんだが」

だが銀髪男の言葉も、天に聞き届けられる事は無く。

閃光は地面へと落下し、続いて大音量を奏でた。

「―――――わっ!」

思わず無意識に両肩を竦め、開いていた両目を強く閉じる。

「あっら〜・・・・どうすっかね」

緊張感の欠片も無い、雇用主の声で。

私は強く閉じていた瞼を、ゆっくり開けて行った。

――――――が。

「・・・・あれ?真っ暗ネ」

今まで視界を照らしていた明かりが、灯っていない。

その代わり時々天から走る閃光が、明かりを一瞬だけ室内に連れて来ていた。

「やれやれ――――停電かよ。こうも真っ暗じゃあ――――おい、神楽。
其処を動くなよ?手当たり次第に動いちゃ、危ねえから」

そう言うと背後にいた男が、この場から立ち去ろうとする気配を感じ。

「銀ちゃん?何処行くアル?」

「主電源を、見に。ブレーカー落ちたのか、一応確認すんだけ。
まあ十中八九、今の落雷による停電だろうが」

「すぐに、直るかナ?」

暗闇の室内の中――――男の背に向かって、声を掛ける。

「こればっかりは、何とも言えねえな。電力会社の奴等に、頑張って貰わん事には」

この返答を最後に、銀髪男の気配は和室から完全に消えた。

私は言われた通りに、その場で腰を下ろし。

窓を、見つめながら。時々空間を走る、稲光を見つめていた。

――――黒と閃光が彩る、神秘的な光景。

それは何度か繰り返され、私は飲み込まれる様に・・・・じっと見続ける。

「――――綺麗アル」

数分経った頃、銀髪男が再び此処へ戻って来た。

手には懐中電灯を持っており、頼りない光が私の顔元を照らす。

「ブレーカーが、落ちてないって事は。
やっぱり変電所か、その近くに落雷しやがったな」

参ったといった態で、乱暴に右手で自由奔放な頭を掻き毟っている。

こちらまで来ると、どかりと腰を下ろし。

手に持っていた懐中電灯を、畳の上に置いて――――溜息を吐いた。

明かりは頼りなげに、天井に円を描いており。

私と男の上半身辺りを、うっすらと照らしていた。

「くわばら、くわばら」

突然――――男が、ぽつりと呟いたので。

「?今、何て言ったノ?」

「――――これ以上、落雷しねえ様に。まじない、掛けてたんだよ」

壁に背を預け、ぼんやりとした室内を見つめたまま返答して来る。

「おまじない?」

「そう。雷の神様は、桑の木が嫌いって
――――桑原と二回唱えれば、二度と落ちないっていう説があんの」

「・・・・ふうん」

「何?その、意外そうな顔は」

表面に出ていたのか、指摘されてしまった。

男は若干面白くなさ気な表情を、こちらへ向けている。

「だって―――銀ちゃんが、おまじない信じてるなんて。思いもしなかったモン」

「オレだって、別に信じてるって訳じゃねえよ。
ただそんな話、思い出したってだけで。
唱えて本当に雷が治まれば、めっけモンじゃねえか」

「―――――それに」と、言葉を続けたが――――。

男は左手を口に当て、「やっぱ、良い」と話を強制終了させた。

そんな銀髪男の態度に、訝しながらも。

首を僅かに倒して、「そう?」とだけ答える。

「気休めくらいには、なるかも知れんし。お前も、唱えておけば?」

私は首を縦に振ると、閉じていた口を開き。

「くわばら、くわばら」

今しがた教わった、まじないの言葉を紡いだ。

「――――落雷は、びっくりするけど。結構、稲光・・・・綺麗ヨ?」

この言葉に銀髪男が、「はは」と笑い出し。

「普通、怖がるモンじゃねえ?
キャー!雷怖いいい!』って、抱きつくみたいな?」

裏声使って・・・・しかもご丁寧に、己の両腕で身体を抱え込む男に。

鼻で笑って、身体を逸らしながら。

「この神楽様を、その辺の女子達と一緒にすんじゃねえヨ。
そんな柔な女じゃないアル」

「あ〜あ、そうですネ。そうでした、そうでした。
神楽ちゃんは、お強い子でした。銀さんの胸なんか、必要ないデスヨネ〜?」

小馬鹿にした台詞と口調に、思わずムッとなり。

「つか、いらねえヨ。
土下座されたって、銀ちゃんの胸になんか飛び込まないアル」

「まあ。銀さんの胸は、高額だからね。
神楽ちゃんの様なお子様には、絶対払えないから」

売り言葉に買い言葉が、室内に飛び交った――――が。

突然――――私の左腕に、何かが触れた感覚があり。

・・・・・徐に身体を、引っ張られた。

「うひゃお!?」

「―――――可愛く無い悲鳴、聞かせてくれてサンキュね」

頬で、感じられる――――銀髪男の体温。

「なっ・・・・何するアルカ!とっとと離せヨ!この変態――――」

男の両腕で固定されてしまった身体を、どうにか放そうともがくも。

今先程よりも力が篭った、両腕に思わず動きが止まった。

「う〜ん。そうしたいのは、山々なのですが。銀さんちいっと、寒くなって来ちゃってね?
ほらガキの体温、暖かいって言うし。神楽ちゃんの体温を、分けて貰おうかと・・・・」

誰が『ガキ』、アルカあああ!

右拳を作り、男の顎を狙えば――――確かな感触。

「ぐごお!」と、男の悲痛な声が室内に響き渡る。

「そんなに寒かったら、布団でも出せば良いだロ!人を湯たんぽ代わりに、すんじゃねえヨ!」

――――いや。布団出した方が、もっと危険・・・・・

男の独り言は、天からの重低音で掻き消されて聞こえなかったので。

「?何か言ったカ!?」

半ば喧嘩腰で、問い掛けてやったら。

「―――――とりあえず、神楽ちゃん。銀さんのお願い、聞いてくれよ」

ぎゅうっと力を篭められ、観念した私は盛大に溜息を吐き。

「・・・・私には、払えない高額な胸デショ?」

「今日は、特別っサービスって事で」

今でも私達の頭上では、重低音と稲光がハーモニーを奏でている。

「くわばら、くわばら」

銀髪男は歌を歌うかの様に、まじないを口にした。

鳴り止まない、雷鳴音と稲光と。

頼りない、懐中電灯の室内。

男の胸に抱かれて、私は――――いつの間にか夢の中へと引きずり込まれた。













「・・・・寝ちまったよ。この状況で?普通、寝れる?」

オレは苦笑いとも取れる、笑みを浮かべ――――捕らえている少女の寝顔に話しかけた。

勿論起きる様子は、一向に無い。

気持ち良さ気に、寝息を掛かれ――――しかも、その息は丁度己の胸元に当たる。

「あ〜・・・・もう」

この状況に・・・・持ち込んでしまったのは、己なのだが。

無意識に唇を、噛んでしまう。

落雷による停電で、万事屋どころか――――街全体が、停電状態。

こんな暗闇同然の室内・・・・しかも大の男と、少女二人きり。

――――ああ、白い巨大犬は。当に夢の国だけど。

ただの居候だったら、自分だってこんな邪な想いは抱かないだろうに。

時折響く重低音はともかくとして、室内を妖艶に照らす稲光のお陰で。

思わず理性の鎖の枷が、外れそうになる。

「くわばら、くわばら」

雷避けのまじないであり――――災難避けの、まじない。

少女の『坂田銀時』像を、決して『壊さぬ』為の。

そして自分自身に、言い聞かせる為の。

―――――しかし。

「・・・・・・・・」

あまりにも無防備さに、ちょっと腹が立つのも仕方無い事で。

信頼されてんだか、それとも『男』として見て貰えてないのか。

・・・・まあ。100%、後者だろうけど。

捕らえていた両腕を、そっと離して。

オレの胸を借りて眠る少女の頬を、さり気なく摩ってみた。

「――――――――」

ピクリともしない身体――――そして。穏やかに繰り返される、寝息。

完全に熟睡モードに、入ってますネ。

朝まで起きない、パターンだよね?これ。






少しだけ理性の鎖――――外しちまうか?






もう一人の自分が、悪魔の囁きを仕掛けて来る。

陶磁の様な肌を、堪能していた五本の指が。

頬を滑り――――顎へと、到達した。

細い容の良い顎を、親指と人差し指で捉え――――顔を僅かに、上へと逸らせる。

懐中電灯に照らされて・・・・ぼんやりと白く浮かんだ、お団子娘の寝顔。

少しだけ開かれた、淡い桜色の唇に自然と視線が移ってしまう。

と、同時に――――室内を照らす、複数の閃光達。

「くわばら、くわばら」

まじないを唱えて、己の顔を少女の顔へ近づけていった。

―――――どうかこのまま、目を開きません様に。

―――――どうかこのまま、自分が今している行動に。

眼前のお団子娘が、気付きません様に。









KUWABARA KUWABARA




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