――――銀髪男から、差し出された左手を。
私は戸惑う事無く、右手で握り返した。
MEDEICINE
お互いの4本の指が、手の甲に到達した瞬間。
男の顔を映していた視線はぐらつき、視界は見慣れた襟元に変わった。
・・・・此処でようやく、自分は抱き寄せられたのだと理解する。
「―――――何で。抵抗しねえの?」
頭上から降りる声に、私は身体を預けたまま口を開く。
「抵抗・・・・して、欲しかったのかヨ」
「――――――どうだろな」
そっけない言葉とは反対に、私を閉じ込めた両腕に力が篭る。
何度目だろう?こうして、男の腕に囚われるのは。
何があった?なんて、聞かない。
聞いたってこのマダオ侍は、決して本音を吐露してはくれないのだ。
―――――そう。全身で、私の問い掛けを拒否するかの様に。
・・・・・別にそれでも良いと、思った。
答えたくないなら、答えなくても。
「――――銀ちゃんの腕の中・・・・心地良いアル」
「そんな事言うと・・・・銀さん、襲っちゃうかもよ?」
絶対にしない事を、わざと口に出すから。
鼻で笑いながら「やれるモンなら、やってみロ」と答えてやる。
確かに此処は銀髪男の、寝室で。
いつも寝なれているだろう、布団の上に二人はいるけど。
それでも、そんな出来事は一回もなかった・・・・・一度も。
ただこうして、私を抱き締めるだけ。
私を閉じ込めた両腕が、解き放たれるまで。
男の気が済むまで――――ずうっと。
視界をずらそうと少しだけ顔を上げて、マダオ侍の撫で肩に顎を置く。
その先には開け放たれた四角い窓と、上空にある漆黒の闇と下限の月。
窓からは少し冷たい気を含んだ風が、私の前髪と癖のある銀髪を軽く揺らしていく。
「・・・・・急に黙って、どした?」
すぐ近くで低音が、私の鼓膜を刺激した。
「何でもないヨ。月――――見てただけネ」
「仮にも野郎の腕の中にいるってのに、随分と余裕じゃない?神楽ちゃん」
視線の先が突如、下限の月から見慣れた男の顔に変わった。
男の2つの瞳には、少し驚いた自分が映っている。
「そうかもナ。今の銀ちゃんよりは、余裕アルネ――――多分」
唇の両端を上げて、見返せば。
「・・・・・言ってくれんじゃねえの」
そう言ってバツの悪い表情を浮かべて、視線を僅かに逸らした。
――――だって、本当にそうでショ?
ほら・・・・今にも泣きそうな顔してる。
此処で一緒に住み始めてから、初めて知る事になった男のもう一つの顔。
――――極たまに、このマダオ侍は。
己の寝室から、苦し気な声を上げるのだ。
それは襖と居間を通り超え、私が寝ている押入れまで届いて来る。
両目を瞑って、眠りの世界へと旅立っている私の耳へと。
初めて、魘されてると知った時。
私は無意識に、居間を通り抜けて――――和室へと向かっていた。
いつまでも、止まない呻き声。
躊躇する事も無く、襖に手を掛け隙間を広げていく。
豆電に照らされた男は、布団に横たわり。
額から尋常ではない滝汗を流して、眉間にいくつもの皺を寄せて。
身体を、捩じらせていた。
早足で近づき、男の肩を何度も揺する。
「銀ちゃん」と、何度も呼び掛けて。
悪夢から舞い戻って来た銀髪男は、勢い良く起き上がり。
乱れた呼吸を何度も続けて、ようやっと私の存在を確認した。
「神・・・・楽」と掠れた声で。
突然右腕を捕らえられ、身体は男の胸の中へと移動させられる。
身体が軋むんじゃないかって程に、きつくきつく抱き締められた。
驚きが勝り、何度も「銀ちゃん」と名を呼んだけど。
腕力は緩む所か、益々力が加わっていく。
仕方なく――――男の背に両腕を回して、落ち着くのを待つ事にした。
徐々に男の呼吸は平静になり、それと同時に腕の力も弱まる。
ほうっと一息ついて、銀髪男は私を腕から解放した。
・・・・・それ以来、『事』が起きるたび。
私はこの男の鎮静剤として。
差し伸べられた無骨な手を、握り返して――――胸に抱かれる。
男に向けていた視線を、再び甚平の襟元へと移動させ。
左頬を胸板に預けて、両目を瞑った。
―――――先程よりも幾分か、落ち着いて来た鼓動が。
私の外耳を通り、鼓膜へと届く。
「・・・・大分、落ち着いたんじゃないカ?」
それは当の本人にも、分かったみたいで。
「ん・・・・ああ。そうだな」
この言葉を合図に、漸く私は自由の身になった。
私を捕らえていた両腕は、掌を向けそのまま布団の上へと着地。
男の胸板に預けていた身体を戻すため、少し反動を付けて立ち上がる。
「どっこいショ」
「おばさんくさ〜」
「何か言ったアルカ?」
上からじろりと睨んでやったら、慌てて男は両手を上げて左右に首を振った。
「何にも?何にも言ってないよお?」
「ふん」
こんなマダオ侍の所にいつまでいたって、しょうがない。
自分の役目は、もう終わったのだから。
――――さてと、己の寝床に戻るとしよう。
夜更かしは、お肌の大敵ヨ。
明日肌がボロボロだったら――――飛び膝蹴りお見舞いしてやるネ。
和室の襖へと足を向けて、戸に手を掛けようとした時。
「・・・・・サンキュな」
抑揚のない声が、私の背中にぶち当たった。
「・・・・・酢昆布5箱で許してやるアル」
振り返りもしないまま、返答して・・・・私は和室を後にした。
―――――何があったか?なんて。
・・・・・一体どんな夢を、見たか?なんて。
聞いた所で、答える様な男じゃない。
別に答えたくなければ、答えなくて良い。
話したくなったら、話せば良い。
ただ――――私は、あの苦しそうな声を聞くのが嫌なだけなのだ。
いつも通りの銀ちゃんで、いて欲しいだけなのだ。
望むなら、何度でも望めば良い。
いくらでも、貴方の『薬』になってあげるから。