MASK
「――――あれ?アイツは?」
夕飯を終え一番風呂に、身を浸かったオレは。
一人姿が見えない事に、気付いた。
テレビのリモコンを手に取り、電源を切りながら。
もう一人の従業員が、長椅子から腰を上げて答える。
「・・・・そう言えば。いませんね?何処に行ったんでしょうか?」
水分を吸って幾分か大人しくなった、己の髪をタオルで拭きながら。
思わず通称『ダメガネ』少年の返答に、眉間に皺が寄る。
「―――――てか・・・お前等、其処並んでテレビ見てたよね?」
・・・・・が。次の奴の回答で、大筋が見えた気がした。
「え?ああ、はい。でも、僕お通ちゃんの特番見てたもんで。
いやあ!やっぱり彼女は最高ですよ!もう2時間じゃ飽き足りませんね!
もっと放送時間を―――――」
意気揚々として語る新八を、「はいはい」と言葉を遮り。
「つまり――――新八君は。テレビの世界に入り込み、神楽に気付かなかったと」
「・・・・まあ」
「ったく・・・・お前もいい加減、そろそろ現実に『恋』の一つでもしたらどうよ?
お通の尻ばかり追い駆けてねえで」
「余計なお世話ですよ!僕の心の恋人は、お通ちゃんなんです!
彼女程素晴らしい人は――――――」
両目に炎を宿して、尚も熱く語ろうとする新八だが。
今更コイツの、お通談議に付き合い気は更々ない。
「―――――つうかお前。もうそろそろ、家に戻んなくて良いのか?」
顎で室内にある時計を示すと、それに倣って首を動かす。
時計の針は10を指そうとしていた。
「・・・・でも。神楽ちゃんは―――」
気まずそうにオレの顔を見ると、そう呟いた時だった。
天井から、何やら物音が。
オレと新八は、互いに顔を見合すと。
「――――ひょっとして、屋根にでもいるんですかね?」
「ああ、有り得るな。何とかと煙は、高い所が好きって言うし」
念の為玄関まで足を運び、酢昆布娘の靴の有無を確認すると。
見慣れたチャイナ靴が、二足綺麗に並べられていた。
背後から「どうでした?」と、質問を投げ掛けられたので。
右手を掲げて、人差し指を立てる。
「―――外には出てねえ。多分、上だ」
神楽の居場所が特定出来、新八も安堵の表情を浮かべ。
―――――10分後、『万事屋』を後にした。
新八を玄関まで見送ったオレは、「気ィつけろよ」と背中に声を掛け。
扉が閉まったのを確認すると、一息つく。
「さて・・・・と」
踵を返し居間まで戻り、和室兼己の寝室へと向かい。
閉じられた襖を、両手で開ければ。
少し開け放たれた窓から吹き込む、少し冷たい空気が身体を遮った。
風呂上りには、丁度良い気候かも知れない。
視界前方には長方形に切り取られた、不夜城のネオンが見える。
いぐさの床を歩き窓まで辿り着くと、手摺に両手を掛け。
身を乗り出し、落下しない様気を配りながら。
軽く反動を付けて、瓦に上半身を乗せた。
それなりの傾斜だが、何度か昇った事のある屋根だ。
身体は自然に動き、軽々と目的地へと落ち着く。
「ふう・・・・・」
―――――オイオイ。こんな事で溜息出るって、どうなの?おれ?
思わず無意識に、一人ツッコミ。
「それはそうと」と、視線を周囲に巡らせる。
反対側の屋根にひょっこりと、見慣れた後姿。
四つんばいになりながら、ゆっくりと近づいていく。
両膝を両腕で抱え頭の角度からするに、視線は満月が浮かぶ空へ。
その姿勢は崩れる事無く、まるで月明かりに囚われてるかの様だ。
右手を伸ばし掛けたが、何故か躊躇し。
「神楽」と気付いてたら、声を掛けていた。
―――――が、オレの声が届いてないのか。
「・・・・・・・・・」
―――――返答は無い。
「神楽?」と、少し口調を強めたら。
「・・・・銀ちゃん」と初めて、返事が戻って来る。
だが態勢を保ったまま、視線はあくまでも闇空。
変な感じだがオレの名が聞けた事で、少し安堵した。
「何してんのよ?こんな所で」
「―――――キ」
「は?」
「月・・・・・見てたネ」
「・・・・・・・・・」
―――――そんなこたあ、言われんでも分かってる。
ようやく首を、元の位置に戻したと思ったら。
思いの他、真剣な声が両耳に届いた。
「――――『声』が聞こえる気がする」
「ああ?声だ?誰の?」
不可思議な事を口走る少女の、傍に行こうと二本足で立ち上がり。
隣まで慎重に歩いて、腰を下ろす。
背後から吹く風は、先程よりも強く感じた。
神楽の細い髪が風に煽られて、横顔を確認する事が出来ない。
「・・・・ねえ、銀ちゃん」
「?」
「もし私が私でなかったら・・・・・どうする?」
―――――神楽が、神楽じゃない?
「どういう意味?それ」
そう言うと両膝を抱えていた右腕が、ゆっくりと動き出し。
自分の顎の下に、五本の指を持っていくと。
「実は―――『仮面』を被っていたとしたら」
「――――――――」
いつも聞いている甲高い声が、何故か別人の様に思えて仕方が無い。
そんな考えを振り払う様に、否定の言葉を発した。
「はっ―――――お前・・・・何言ってんの?熱でも出したか?」
顎に当ててた指を、ゆっくりと膝の位置に戻しながら。
「声が聞こえる・・・・気がするアル」
「・・・・・・・・・」
さっきも、同じ台詞を言っていたが。
「だ〜か〜ら、誰の声だよ?」
すると神楽は何も答えず、行動で示した。
再び右腕を動かし、今度は天に向けて――――人差し指を立てる。
・・・・・・月・・・・・・?
「目覚めよ。仮面を脱ぎ捨てよ。血を・・・・闘いを求めよ・・・・って。聞こえるネ」
こちらを振り向きながら、そんな事を口にする。
そこで初めて、オレは神楽の顔を拝む事が出来た―――――が。
瞬間、息を呑んだ。
・・・・・かぐ・・・・ら?本当に―――神楽なのか?
14歳とは思えない程の、大人びた表情。
まるで蛇に睨まれた蛙の様に、動く事さえ出来ない。
二つの碧眼が、血色に染まっている様にも見える。
その両目に映る、硬直状態のオレの姿。
―――――呼吸する事さえ、ままならない。
コイツから醸し出される、『負』のオーラは何だ?
いつもなら阿呆な事を言って、本能のままに日々を過ごしている少女なのに。
ひょっとして・・・・・この神楽が、『本当の神楽』なのか?
――――――仮面を捨てた、『夜兎』本来の少女。
無意識に唾を飲み込んだ為、喉元が鳴った。
「・・・・・なんてネ」
クスリと笑いながら、両肩を竦めて。
「――――――?」
「嘘ヨ、う〜そ!この神楽様に、仮面なんかある訳ないネ♪
ぶはははは!銀ちゃん、すんごい間抜け面アル!
貴重な瞬間、写メで撮っときゃ良かったヨ」
突然普段の神楽に戻った―――気がした。
内心胸を撫で下ろすが、動揺した事を決して悟られたくはない。
「・・・・てんめ。銀さんを、からかったってか?
良い度胸じゃねえかあ。覚悟は出来てんだろうなあ?」
右手で拳骨を作り、息を吹きかける。
その動作を見て神楽は急いで立ち上がり、両手で頭を庇いながら。
「銀ちゃん!レディに暴力はいけないアル!」
「うっせ!どこにそんな女性がいるってんだ!?
レディってのはな、ボン・キュッ・ボンの素敵な女性を指すんだよ!
――――って。てめ!逃げんな!神楽!」
「あ〜。もう夜も更けたネ、夜更かしはお肌の敵アル。
そんじゃおやすみ〜、銀ちゃん」
脱兎の如くその場から立ち去った、酢昆布娘。
「ったく・・・・」
大きく息を吐いて、今まで少女が仰ぎ見ていた空に視線を移した。
琥珀色の満月が、己の存在を誇示するかの様に浮かんでいる。
脳裏に先程の神楽の表情が、フラッシュバックした。
「――――なあ?お月さんよ。あんた、本当に語り掛けてるのかい?」
『夜兎に戻れ』と。
「それとも・・・・アイツが、神楽としての『仮面』を脱ぎ捨てたがってるのか?」
返答は戻って来ない・・・・・当然っちゃ、当然だ。
「――――なあ、それなら。オレの声も聞き届けてくれねえか」
『そのままの、アイツでいて欲しい』
言の葉を、風に乗せて。
あの満月まで、届いてくれる事を願う。
―――――この切なる願いが、届いたかどうかは。
風と満月しか知らない。