珍しく依頼の入った仕事を片付け、メガネを掛けた従業員は帰路へ。
そして同じ一つ屋根の下に住む、私と銀髪男は――――今。
夏場でも無いのに、北風が吹く海辺へと来ている。
―――――それは何故か?と言えば。
勿論、私の我儘である。
私が放った一言に、愛車のべスパを運転していた男はこう言った。
『おまっ・・・・この寒い中、海に行きたいなんて馬鹿だろ!?』
そんな事言われたって、急に海が見たくなってしまったのだから仕方ない。
『脅し』とも取れるやり取りで、此処まで連れてきて貰ったのだ。
昼間ならともかく、空と海の境も見えない――――真っ暗な海岸。
流石に冬の・・・・しかも、こんな夜の海には。
人一人、存在していない。
私と先程から半纏に両腕を隠し、顔をマフラーに埋めて。
適当に止めたべスパに寄りかかり、両肩を竦めながら。
「さみィ・・・・さみィ。寒過ぎる!」
―――――と、マジ切れ状態で怒鳴る男しかいなかった。
そんな事は全く気にもせず、波打ち際へと歩を進める。
ギリギリの場所まで歩いて、顎を持ち上げ息を吐く。
同時に口からは、まるで煙草を吐いた様な白煙。
キンっとした冷たさが、顔全体に染みて――――鼻の奥がツンと痛んだ。
・・・・・・午前中は、あんなに晴れていたのに。
重そうな灰色の雲が、空全体を覆っていた。
やはり結野アナの予想通り、夜からは雪が降るのだろうか?
「お〜い!クソガキ!いつまでこんな所いんだよ!?もう気ィ済んだろが!
とっとと万事屋にもどるぞ!――――つうか、戻らせて下さいいいい!」
銀髪男の気持ちも分かったが、『クソガキ』の言葉は頂けないデショ。
切実な願いを綺麗にスルーし、私はその場から動かなかった。
顔を思い切り逸らしてみても、月も恒星達も拝める訳でもない。
波の音がBGMとして、両耳に届けられるだけ。
――――ただ・・・・・ただ。時間だけが過ぎていく。
どれだけ、そうしていただろう?
いい加減痺れを切らしたのか、こちらに向かってくる聞き慣れた足音。
「おい、神楽!いい加減に戻るぞ!!何さっきから、ずっと空仰いでんだよ!」
怒りが含んだ言葉を、私の背中にぶつけながら近づいて来る。
―――――その時だった。私の2つの瞳に映ったのは。
「――――――――き」
「はあ?」
機嫌悪いのを表に出しながら、私の言葉に耳を貸す銀髪男。
「・・・・・雪」
間違いない、曇天から落ちて来る――――白い結晶。
一つ・・・・一つ・・・・だったのが。
それは『粉雪』と変わり、私達の上へと降りてくる。
「―――――おいおい。ますます早く戻らねえと、マズイじゃねえか」
仰ぐ顔に到着する白い結晶達は、私の体温に負け水滴となった。
―――――けれど、何て・・・・何て綺麗なんだろう。
雪達の歌が・・・・聞こえる気がする。
ずっと空を見続けていた所為か、まるで宙を浮いてる様で。
思わず足元が、ぐらりとふらついて。
「神楽!」
若干左に傾いた身体を、咄嗟に隣の男が支えてくれたのが分かった。
「・・・・あ。銀ちゃん」
上空に向けていた視線を、銀髪男へと移動させる。
「お前・・・・大丈夫か?すんげえ、呆けた顔してんぞ?」
先程の、機嫌の悪さは何処へやら。
眉間に皺を寄せて、心配そうな表情を浮かべていた。
男の心配を他所に、私は自由奔放な銀髪を見やる。
「銀ちゃんの髪に、粉雪がたくさんついてるアル。キラキラしてて、綺麗ネ」
「そりゃあこんな所に長居してりゃ、そうなるっての!――――ったく、風邪ひくぞ?」
私の頭に付いた粉雪を払いながら、深い溜息を吐く。
「結野アナの予報、当たったヨ」
「当たりめえだろ。結野アナの天気予報、なめんじゃねえ」
両目を瞑り鼻で笑って、ふんぞり返る姿を見て。
どうして其処で、男が偉そうにするのだろうか?と内心思うけど。
「―――――銀ちゃんと、雪見れたアル」
そっちの方が嬉しくて、思わず笑みが毀れた。
この言葉に死んだ魚の様な瞳が、大きく開かれ――――。
「・・・・・ひょっとして、そんな理由で――――海に来たってのか?」
「そんな、理由で悪かったナ」
「んな、別に万事屋に戻ってからだって。こんなモンいくらでも見れるじゃねえか」
確かに『万事屋』に戻れば、暖かい場所で空から降ってくる結晶を見れるかもしれない。
―――――けれど。
「―――――銀ちゃん。私が雪降ってるって言っても
絶対炬燵から出ようとしねーダロ?面倒臭せぇとか言って」
半目で的中率、100%の言葉を放てば。
「そ、そんな事ねえよお?おまっ、オレの事誤解してんよ?」
既にどもり口調の時点で、図星確定じゃねーカ。
それに静かな場所で、一緒に雪を見たかったって言うのが一番の理由。
「けど本当に、戻るぞ。ずっと此処にいたら、それこそ風邪どころじゃねえよ」
踵を返し砂浜を歩き始める後ろ姿に、追いかける様にして二本の足を動かす。
べスパの位置まで辿り着くと、「おら」とスペアのメットを渡される。
名残惜しいけど、確かにいつまでもいられる環境じゃない。
メットを被って、男の後ろに腰を落とした。
―――――――その瞬間。
銀髪男の二本の腕が、私の両腕を捉える。
「?」
されるがままになっていると、男の腰に導かれ両腕を交差された。
「しっかり捕まっておけ。帰りはちょいと、飛ばすぞ」
銀髪男の背中に頬が当たって、ほんのりと温もりが伝わって来る。
ぎゅうっと抱き締めれば、前身にも暖かさが灯った。
「おっ。背中が温くて、丁度良いな」
「銀ちゃん」
エンジンを掛け、一度吹かして発車準備を終えた頃。
「あ?」
「―――連れてきてくれて、アリガト」
この寒い中、私の我儘に付き合ってくれた礼を言うと。
「そう思うんなら、神楽。帰ったらオレを存分に、暖めてくれ」
肩越しに振り向かれ、真顔でそんな台詞を言うもんだから。
「―――――なっ・・・・な!?」
顔全体が熱くなるのを感じつつも、咄嗟に返答が出来ない。
「さ〜てと、どんな風に暖めて貰おうかなあ?」
右アクセルを掛け、同時にべスパの車輪が動き出す。
突き刺さる様な風の中、愛車を操る男の声が聞こえた。
「オレもお前と一緒に、初雪を拝めて良かったよ」
「めっさ寒かったけどな〜」と、オマケ言葉がついて来たが。
ねえ、銀ちゃん。
――――今、凄く嬉しいヨ。
私と一緒に初雪を見れて、良かったって言ってくれて。
「銀ちゃん!」
エンジン音に負けない様に、大きな声で名を呼んで。
「―――――何だ?」
今一番言いたいことを、口にした。
「本当に銀ちゃんと、出逢えて良かったアル。大好きヨ」
そう言って更に腰に回した腕に、力を篭めたのだが。
「―――――いたっ!力入れ過ぎだっての!骨折れる!骨!!」
一旦スピードが減速したものの、再び元のスピードに戻り。
私達の『万事屋』へ、愛車は向かう。
背に当てていた頬を離して、上空を仰げば。
粉雪が静かに私達に、歌を奏でる様に舞っては降り注いでいた。