大家の元へと訪れたオレは、『準備中』の掛札を無視して店内へと入った。
「――――まだ、準備中だよ。・・・・何だ、あんたかい」
カウンター内で、室内に紫煙を燻らしながら。
赤く彩られた唇を尖らせ、白煙を吐き出す。
いつもの定位置まで歩を進め、カウンターに設置されている椅子へと腰掛けて。
懐から『ある物』を、取り出すと――――カウンターへと置いた。
「悪い。これ返すわ」
「・・・・以前。あんたから頼まれた、借家の鍵かい?」
「――――ああ」
「必要、無くなったって事か」
「――――ああ」
ババアの口はそれ以上、開く事は無かった。
その代わり唇の両端が、僅かだが釣り上がっている。
「あ〜・・・・そのう。解約金なんだが――――」
「もう既に、解約しちまってるよ」
「へ?」
またもや金絡みの話で、内心穏やかでは無かったのだが。
切り出した言葉を遮られ、開いた口を塞げずにいた。
「あの娘、住んでる気配無かったからね。速攻で、解約させて貰ったよ。
無人なのに家賃を払うのも、馬鹿馬鹿しいだろ?本当ならあんたの言うとおり、解約金が発生しちまうけど。
まあ古くからの知り合いさね、今回だけは目を瞑って貰ったさ」
―――――流石は、かぶき町の四天王の一人。顔が、広い。
まあ・・・・それだけじゃ、ねえんだろうが。
このばあさんを慕い集う、町人達は数多にいる。
口には決して出さないが、オレもその内の一人な訳で。
「―――んで?答えは、見つかったのかい?」
煙草の煙を吸い込めば先が点されて、白煙が真っ直ぐ上に伸びている。
「答え?何の?」
投げかけられた質問に、思わず眉間に皺を寄せてしまう。
「『男も女も関係ない』の、意味さ」
眼前に佇む大家から噴出された白煙が、店内の空気と混ざり同化していく。
オレはそれを見つめた後、両瞼をゆっくりと閉じて笑みを浮かべた。
「お陰様で」
「――――良い顔に、なったじゃないか。生気の欠片も無かった表情が、嘘みたいだよ」
「・・・・また宜しく頼むぜ、ババア」
腰掛けていた身体を持ち上げ、店の入り口へと向かう。
――――オレが店外へと姿が消したと、同時に。
短くなった煙草の気体を、思い切り肺に流し込んで。
勢い良く白煙を吐き出すと、笑みを浮かべ。
「――――まあた。騒がしくなるねえ」と、呟くと。
灰皿に煙草を捻じ込んで、新たな煙草に火を点す。
ババアの独り言は、当然ながらオレに届く事は無かった。
階下から『万事屋』に、戻った瞬間。
見た事のある草履が、玄関に揃えられていた。
「・・・・・・」
居間の方から廊下を経由し、この玄関へと『奴』の声が伝えられて来る。
ブーツを脱いで、家へと上がり。
居間を目指す為に、大股で廊下を歩いた。
「あ、お帰り。銀ちゃん」
神楽がオレの姿に気付いて、出迎えの言葉を掛けてくれる。
「ああ」
――――やっぱり、落ち着くな。
なんて感慨に耽っていたら、「邪魔してるぞ」ともう一人の人物から声を掛けられた。
自分の背中を押してくれた、腐れ縁の幼馴染に返答。
「・・・・何時、来たんだよ?ヅラ」
オレが神楽を引き戻せたのは、コイツのお陰でもあるのだが・・・・・。
素直に出迎えられない、自分もいるのは確かで。
「ヅラではない、桂だ。今さっき、来た所でな。リーダーと話していた」
・・・・んなモン、見りゃ分かるっての。
しかも、結構親しげに会話なんかしやがって。
「どうした?悋気か?思い切り、不機嫌な顔をしおってからに」
「りんき?りんきって、何ヨ?」
首を傾げて、ヅラに説明を求める神楽に対し。
ご丁寧に『悋気』の意味を、話そうとするヅラに向かって慌てて阻止する。
「てか、何しに来たんだ?てめえは!」
「――――何をしに来たって。そんなもの、決まってるだろう。リーダーに会いに来たのだ。ああ、すまんな。新八君」
「いえ」
台所で傍迷惑な客人の茶を用意していた新八が、ヅラの前に湯呑みを置いた。
「つうか、オレまだお前に。神楽の事、話してないよね?」
「ふっ。攘夷志士の情報網を、舐めて貰っては困ると言っただろう?銀時」
長椅子の背凭れに寄り掛かりながら、両腕を組んで得意顔。
・・・・マジで、コイツの情報源。知りたいんですけど。
「しかし、良かったな。円満に収まって」
「余計なお世話だ」
「そう言えば、幾松殿も・・・・リーダーの事を気にしていたぞ?」
『幾松』の名前に、大人しく状況を見守っていた神楽が。
両目を見開いて、上半身を乗り出して来た。
「幾松姐!元気アルカ?」
オレから視線を神楽に移動させ、ヅラは柔和な笑みを浮かべる。
「ああ、都合が良い時にでも。顔を、見せにでも行くと良い。きっと喜ぶ」
「――――じゃあ、今から行くアル」
「まあ、待て。神楽」
長椅子から立ち上がろうとする娘を、右手を掲げてそれを制した。
「?何?銀ちゃん」
「昼飯は皆で、『北斗心軒』で食えば良いだろ。ヅラの奢りで」
「――――!ウン」
「何故にそうなる!?・・・・まあ、今回ばかりは。仕方あるまいか」
嬉しそうに笑う神楽と新八を見て、釣られる様にオレも自然と笑顔になる。
その様子を見ていたヅラが、長椅子から立ち上がり。
こちらへ歩を進め、隣に立つと。
「良い顔、してるじゃないか。お前も、リーダーも新八君も」
小さな声で、話し掛けてきた。
それに対し、両肩を竦めて返事をする。
「・・・・誰一人、欠けちゃいけねえんだよ。『万事屋』は」
「特に、リーダーは・・・・だろ?」
「――――ヅラ」
「ヅラではない、桂だ」
「―――――サンキュな」
オレの短い礼の言葉に一瞬だけ、両目を見開いたが。
「この仮は、高くつくぞ?銀時」
そう言って、また視線を神楽へと戻すと。
先程と同じ様に、柔らかい笑みを浮かべた。