桃色吐息 前編
表の顔は、『ホストクラブ』のパトロン――――。
裏の顔は、『中国マフィアの女ボス』――――――。
そんな表裏一体の顔を持つ、私の名は神楽。
新宿の一等地の不夜城『歌舞伎町』・・・・けれど、死角の位置にある古びた雑居ビルの。
最上階が、事務所となっている。
こんな生活をしていると、何時何処で命を狙われるか分からない。
私の首を狙ってる連中なんざ、数え切れない程にいる。
それだけ私が背負う、『組織』は強大で――――更に幅を利かせているのだ。
・・・・・常に『覚悟』は、出来ているつもり。
いくら腕の絶つ護衛を付けたとしても、『その時』は訪れるのだから。
窓からの入って来る、陽射しを頼りに。
机上に束ねられた、大量の資料に両目を滑らしながら。
己の経営する店の売り上げと、今後の予定を思案している時だった。
事務所の階段を昇ってくる、若干荒々しい靴音が両耳に届けられたのは。
―――――誰だかなんて、思い浮かばせなくても。
嫌という程、聞きなれた靴音だ。
私は手にしていた資料を、机の上に放り出して。
視線を入り口に向けて、『人物』が登場するのを待つ事にした。
壁に掛けられた時計を見れば、朝7時を過ぎた頃。
恐らく彼は『仕事』を終えたまま、この事務所に足を向けたのだろう。
―――――本当は疲れて、眠い筈なのにね。
無意識に、苦笑いを浮かべていると。
ノックの音も無く―――――ドアは突然、乱暴に開けられた。
其処には、金髪の美丈夫男『坂田金時』。
若干怒りのオーラを醸し出しているのは、気の所為かしら?
「お疲れ様、金時。随分とお疲れ気味の様ね」
「そりゃあね。色んな『上客』を、相手にしなくちゃならねえんだから。
いい加減精神的にも参っちまってますよ」
両手の紙袋を、応接室のソファに粗雑に置くと。
ネクタイを緩めながら、「あ〜・・・・かったりィ」と呟きながら腰を下ろす。
「そんなに疲れてるなら、家に帰って休んだらどう?
わざわざ事務所まで足を運んで、何か用でもあるのかしら?」
わざと惚けた台詞を、口にすれば。
眼前の男は不機嫌オーラを、更に増長させる。
「――――オレが、此処に来るって。分かってたんだろう?」
「さあ?用があるんなら、とっとと済ませてくれる?こうみえても、忙しいの」
ソファに腰掛けていた金髪男は、急に立ち上がると。
大股で、私の机に向かって来る。
―――――そして。思い切り乾いた音をさせて、両手を机上に乗せた。
「・・・・そりゃあ、どうもすんませんね。でもどうしても、一言言わせて下さいよ。
オーナ。そうしねえと、気が済まねえんで」
眉間に大層皺を寄せて、ぐっと顔をこちらへ近づけて来るが。
私はポーカーフェイスを装い、首を少し傾けて。
「何かしら?」
「昨日――――何の日だか、知ってたか?」
「ええ、勿論。ヴァレンタインデーでしょ?だから、ちゃんと渡したじゃない。
貴方も受け取ったでしょ?」
「ああ。その他大勢と一緒にな」
「あら、意外ね。あのチョコ、結構値が張ったのに」
この金髪男を含め、全員にと渡した――――大きな箱詰めのブランドチョコ。
その方が皆で食べやすいと思って、購入したと言うのに。
私からと言う事で、ホスト達やヘルパー・・・・そして裏方の事務員達までが。
凄く喜んでいたと、側近から報告を受けた。
・・・・・ただ、一人を除いてだが。
「そういう、問題じゃねんだよ。何で――――オレ個人で、くれない訳?」
溜息を吐きソファに粗雑に置かれている、膨れた紙袋を親指で差しながら。
「散々貴方のお得意様から、貰ってるでしょう?しかも・・・・抱えきれないくらいに。
どれも、『本命』みたいだし。これ以上不満言ってると、罰が当たるわよ」
イベント時―――――NO.1ホストともなると、指名数も大幅に増えて。
更にこの金髪男に『愛』を少しでも伝えたいと、皆本命で勝負をしてくる。
――――女性客達の、想いが篭められた『ヴァレンタインチョコ』なのだ。
しかし・・・・この男は、つまんなそうな顔を浮かべて。
「――――あんなの、ちっとも興味ねえよ。くれるっつうから、貰っただけで。
上客の機嫌を損ねる訳にもいかねえし」
・・・・・世の中のチョコを貰えない男性達を、敵に回す台詞ね。
内心盛大に溜息を吐く、私に向かって。
先程よりも顔を近づけて、真顔で口を開いた。
「オレは――――お前からの、チョコが欲しいの。それ以外は、受ける気全く無し」
「―――――でも」