受け取った鍵を手にして。
鍵穴に差込み、ドアノブを回す。
足を踏み入れた瞬間、煙草の匂いが鼻につく。
入り口の傍にある、蛍光灯のスイッチを入れ。
一旦周囲を見回し、机に視線を移すと。
――――成る程、こりゃあ凄い。
机上に広がる、資料の束。
見た瞬間、ますます。
やりきれない感が、増してしまった。
教卓の上で作業を行うのは、出来そうに無い。
机の前に置かれている、テーブルに移動させて
両手を、動かすしかなさそうだ。
STEP YOU 後編
鞄をテーブルの脇に置き。
準備室が寒いので、机の背後にある暖房にスイッチを入れる。
「さて・・・と」
たとえ雑務だろうが、頼まれてしまった以上は。
「やるしかない・・・けど」
――――今度絶対何か高級食材奢らせて、破産させちゃる。
持てるだけ、持ち――――。
広々としたスペースの、テーブルに置き。
資料の上に置かれていた、ホチキスを右手で持って。
親指と4本の指を、同時に稼動させた。
「・・・・何時くらいに、終わるだろ」
途方も無い作業に、思わず呟く。
窓ガラス越しから聞こえる、野球部員達の声。
この準備室に、響くのは。
用紙とホチキスの、噛み合う音だけ。
それにしても、頼むだけ頼んでおいて。
あの担任は、今一体何をしているのだろうか。
「・・・・・・・・」
順調に作業を、進めていたら。
準備室のドアが開かれ、この教室の主が現れる。
「――――お。やってくれてんねえ、ご苦労さん♪」
「・・・・まだ、全部出来てません」
顔は上げず両手を動かしたまま、返答したら。
視界の隅っこに、『何か』が映った。
重そうな音をさせて、テーブルの上に置かれた紙袋。
怪訝に思いつつ、両目だけを動かせば。
開け口から少しだけ、顔を覗かせる複数の『箱』らしきモノ。
・・・・ヴァレンタインのチョコレート・・・。
「いや〜・・・参った。此処に来る間に、何度も捕まっちまってなあ」
そんな風に、口にするも。
全然参った声ではなく、むしろ上機嫌さが宿ってる。
更に聞いてもいないのに、喋り続ける天パ男。
「―――やっぱりアレだよな?見てる奴は、見てるんだよな。オレがどんなに良い男か」
恐らく今両腕を組んで満足気に、首を何度も上下に振ってるに違いない。
「――――――」
マズイ・・・非常にマズイ。
自分今すんごい、酷い顔をしてる。
己の感情を誤魔化す様に、単純作業のスピードを上げる。
そんな私を、不思議に思ったのか。
「――――って。何をそんな、殺気立ってるんデスカ?神楽君」
「いえ、別に」
・・・・今まで先生は。女子生徒達との、楽しい時間を過ごしてたと。
――――私だって・・・チョコ渡したかったのに。
「別にって、顔してねえじゃん」
「え?」
驚いて、顔を上げると。
私の隣にあった椅子を引き出し、腰を下ろす。
「お前ってさあ。ホント、分かりやすいよな?」
「・・・・・・・」
自分の眉間を、指差して。
唇の両端を、上げて一言。
「――――ここ。皺寄せ過ぎ」
「・・・・放っておいて下さい」
あ・・・やば。可愛気無い事言った。
「そうしてやりたいのは、山々なんだがな?――――放っておく訳には、いかんのよ」
白衣のポケットから、煙草の箱を取り出し。
右足を組みながら一本引き抜いて、口に咥える。
火を点したと同時に、室内に香る紫煙。
「――――んで?『今日』は、一体どうしたのかな?神楽君?」
「今日・・・って?」
「1時限目の前も、昼休みも。オレと顔を合わせた時のお前は、間違いなく『変』だった。
そして――――今もか?」
「・・・・・・・」
何もそこまで、『変』を強調しなくったって。
――――普段の私は。この担任の両目に、どう映っているんだろうか。
でも・・・ちゃんと、気にしてくれてたんだ。
私に限らずなんだろうけど、何だかんだと生徒を気に掛けてくれる。
ちょっと『怒りのボルテージ』メータが、下がった気がした。
―――――が。
「『ヴァレンタイン』?」
この一言で途端に違った意味の、『メーター』が跳ね上がる。
「――――オレにチョコを・・・くれようとしてた訳?」
『そうデス』
そう返答したいのに、言葉が喉元で止まってしまう。
「・・・・・・・」
先生は私の横顔を、じっと見つめて。
ふと―――何かに気付き、上半身を屈めた。
何事だろうと、視線を移すと。
テーブルの脇に置いた、鞄の横にある。
弁当入れ手提げ袋を、右手に取って。
「・・・こん中に、入ってんだろ?」
そう言って、私に手渡す。
「――――『今年』は、渡せそうか?」
「!?」
―――先生。今確かに、『今年は』って言った。
「おいおい。そんな『信じられない!』って、顔してっけど。
去年も一昨年も。同じ様に、態度に出されてみろって。
気付かねえ方が、おかしいっつうの」
顔が熱くなるのが、分かる―――と言うか、そんなに態度に出てたのか。
「んで?そのチョコ。また今年もお蔵入り?
―――どうせ、てめえの胃に入るだけだろ?」
・・・・どこまで見通してるんだ、この担任は。
煙を深く吸い込み、顔を天井に向けて。
紫煙を吐き出し。
「ほれ」
ゆっくりと、右腕を差し出して来た。
「てめえの口に、入るくらいなら。オレの口に入った方が、チョコの為だと思うぞ」
確かに、そうなんだけど。
いざ渡すとなると、戸惑う自分がいて。
視線を再び、チョコレートだらけの袋に移す。
「―――だって、私から貰ったって。嬉しくないデショ?」
他の女子生徒達みたいに、素直で従順でも無い。
担任にいつも軽口を叩き、辟易させてる生徒が。
この日だけ、『女の子』に戻るなんて。
「嬉しい、嬉しくないは。オレが決める事。――――だろ?」
「・・・貰ってくれる?」
私の言葉に、先生は。
「――――『三年分』が詰まった、チョコだしな」
そう言って、差し出していた右手を頭に乗せ。
唇の両端を上げた。
「多分貰った中で、一番『特別』なんじゃね?」
『特別』の単語を、聞いて。
自然と右腕は、袋の中へと移動し。
ラッピングされた『箱』を、先生と対面させる。
「・・・・・・・」
無言で、担任に渡すと。
「――――ど〜うも。や〜っと、我が手に来ましたか」
・・・やっと、渡す事が出来た。
両頬の筋肉が、緩むのが分かる。
ふと・・・チョコを受け取った先生が、感慨深げに呟いた。
「・・・・こうでもしねえと、まあた逃したモンなあ」
「――――?こうでもしねえと?・・・またって?」
「あ〜・・・いんや、独り言。・・・つうか、やべえな。もうこんな時間かよ」
腕に嵌められた時計を見て、先生が苦い顔をする。
私も釣られて、己の腕時計を見ると。
「――――え?もう17時前?」
そう言えば、野球部員達の声も聞こえなくなってる。
窓を見れば、とっくのとうに西日は消え。
南東の空に、琥珀色に輝く新月が浮かぶ。
「――――後はオレがやっから、お前はもう帰んなさい。助かった、サンキュな。」
「え?でも、まだ―――」
「良いから。遅い時間まで生徒残してると、他の教員達がうるうせえし」
「・・・・はあ」
――――まあ・・・目的は、成し遂げたし。
「じゃあ、帰ります」
椅子から立ち上がり。
コートを羽織って、マフラーを首に巻き。
鞄と手提げ袋を持って、入り口へと歩き出す。
「神楽」
ドアノブを回そうとしたら、背後から名を呼ばれて。
「――――はい?」
振り向き様返答をしたら。
私のチョコを、右手で大事そうに抱え。
「『お返し。』考えとけ?―――っても、そんな大層なモンはやれんが」
「・・・強請るなって―――朝言ってなかったっけ?」
「うん?あ〜・・・まあ。さっきも言ったろ。『特別』だって。」
「じゃあ、超高級グルメツアー」
「神楽君?人の話、聞いてマスカ?」
「嘘ですよ、先生の財布が破産しちゃいますもんね。」
「バカヤロー。いつでも、破産寸前だっての。
望んでもねえのに、羽付けて跳んで行きやがって」
・・・・威張る様な事じゃ、ないと思うけど。
「じゃあ財布が傷まない程度に、考えておきます」
「おお」
ドア前で頭を下げて「さようなら」を口にし。
ノブを回して、準備室を後にした。
昇降口を目指す途中。
軽くなった、手提げ袋の中をもう一度覗き込んで。
「よっし。頑張った、私」と、右手で拳を作る。
先程の重く感じた両足が、嘘の様に軽い。
―――――沈んでた、気持ちも。
「お返し・・・か」
昇降口を後にし、両足を止めて。
外から自分が今までいた、準備室を視界に映し。
来月の今日に、思いを巡らしつつ。
「――――さて、どうしようかな」
―――最終段階・今頃チョコは、先生の口の中―――
※案の定、長くなった・・・ORZ←悶えてます。
すみません、どんだけ引っ張りゃ良いんだって話ですよね。←ホントだよ。
引っ張った割には、しょうもない終わり方で。←言葉も出ない。
しかし・・・念願の「ヴァレンタイン」ネタが書けて。
内容はともかく、ほっとしました。
今度「ホワイトデー」編を、銀八先生視点で書いてみたいと思いつつも。
・・・・やはりやめておくべきかと、頭抱えとります。←板ばさみ状態。
長々と大変申し訳ありません。
この様な小説に目を通して下さり、真に有難うございました。
※以前のブログサイトより抜粋。加筆修正あり(10/03/10)
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